2008年10月15日水曜日

本当は次善の策であることを意識しつつ・・・


捨てられているものを拾って食べるわけではありません。
本来問題なく食べられるのに、その食品の賞味期限や安全性とは別の問題で捨てられてしまう運命にあるものを、企業や農家から引き取って、食品を必要としている団体に配る「フードバンク」という仕組みについて紹介した本です。

アメリカでの活動は合理的かつ理想的であり、日本での活動ももっと広がればと思いつつも、本文中にも記述されているが「おぼれている赤ちゃん」を必死に救っているだけで、上流で赤ちゃんを川に放り投げている悪人(つまり貧困)をなんとかしなければ問題は解決しない訳である。
2500万人の人に食べ物を供給していることを「すばらしい!」と感じるか、「なぜそんなに多くの人が食べ物に困っているのか?」と感じるのか…

日本では食べ物に困っている人がいないことにされている訳で、何もしないよりはできることからどんどんやっていこう!という精神は頭が下がります。

日本で活動を行うチャールズ氏の
困っている人がいたときにresponsible(責任)を感じるのではなくresponse(反応)することが必要
とは目からうろこだった。

ないない尽くしの日本では、制度面からの後押しに加えて国民的な意識高揚も必要。

2008年10月12日日曜日

危機をチャンスに変えるためにやることがあるはず


金融危機により世界同時不況への流れはもう止めようがないが、日本の政治は相変わらず「選挙!選挙!」と世界の動きなどどこ吹く風という感じだ。

今回の危機の原因となった金融面に関しては、先進国の中では規制が多くて1周も2周も遅れていたために被害が相対的に少なかった。しかし戦後最長となった景気拡大はアメリカの消費をあてにしたトヨタなどのグローバル企業の好調に統計上の数値が引っ張られていただけに過ぎない。今回の金融危機でアメリカやヨーロッパの消費が冷え込むことで、これらの企業の業績が悪化し、それに引っ張られて日本全体の景気がボディブローのように低迷することは明らかと思われる。

そのために今出来ることを早めに実施して、必ずやってくる低迷期に備える必要がある。
与党は即効性がある対策として公共事業や減税を検討しているようだが果たしてそれが利くのであろうか?
むしろ、低迷期となっても日本を支えていける産業構造への転換を図るための準備を行うべきではないだろうか。この先は輸出を増やして貿易黒字を確保し、資源や食料を海外から購入するという産業構造が通用しなくなるはずで、そのためにはエネルギーや食料を国内で調達しながら、国内だけでも安定した経済を維持できるような社会を構築するための準備をすべきである。

たとえば、短期的には
 省エネルギーではなく脱石油のエネルギー対策のため、家庭・工場・流通の設備更新対策
 脱石油エネルギー対策のため、発電・配電設備の更新対策
 食料自給率の向上のため、個人経営中心の農業・漁業から集約経営の促進のための制度改正
 農業生産物の販売価格安定のため栽培作物を国内全体の観点からの調整
 国内の金融資金が国内の産業振興に効果的に回るような仕組み
などが必要ではないだろうか

中期的には、最低生活水準の見直しと最低水準所得を保障する税制改正、教育機会の確保を行い国内だけで経済成長が可能とすることで社会の安定と文化度の高い社会を目指すべきではないだろうか。(あくせく働かなくても生活が可能になれば、文化や研究が進み、魅力のある国となるのではないか。それが結果的に海外に対しての優位性を創ることになるのではないか。) 

選挙のためのばらまきではなく、長期的な視野で対策を行うべきであるが、これは与野党が超党派で対策を検討してはどうだろうか。
ここで選挙選挙と騒ぐのは国民の政治離れを助長し、投票率がまた下がってしまうことにつながるのではないだろうか。「あの時選挙選挙と騒いで有効な準備ができなかったことで、日本が再度低迷してしまった」ということにならないようにすべきではないか。
危機の時期にあってこそ、国民の視線は政治家の一挙手一投足を厳しく見つめている。政権をとることが目的になっているように写ったり、ばら撒きで票を多く確保しようという動きは政治家のみなさんにとっても不利益になるのではないか。
自分に不利となるようなことでも、国全体のために行動できるような政治家こそ危機の時期に必要な政治家であり、そのような政治家を政党を国民は待ち望んでいると思う。

2008年10月11日土曜日

21世紀の徴兵制という訳ではないけれど・・・


介護や看護師等の生活基盤を支える人材や食糧自給率を高めるために必要な一次産業の人材については仕事のきつさと収入の低さだけがクローズアップされ打開策はなかなか見いだせない。

そこで、徴兵制ではないけれど国民全員に一定期間不足している分野の職種への従事を
義務づけてはどうだろうか

実際にやってみないとわからない訳ですべての人間が従事することで関心も高まるし、サービスの質向上や虐待の問題も解消できるようになるのではないだろうか

裁判員制度のようにすべての国民が対象とできるようにしてその間の収入は国が保障するという形にしてはどうだろうか

2008年10月8日水曜日

総合的な支援制度としてはどうか


後期高齢者医療制度の厚生労働省からの見直し試案が提示された。国保を都道府県単位とした上で現在別立てとなっている後期高齢者医療を包括するというものである。制度一体化に向けては課題もあると思われるが、財源面や手続き面でもメリットが大きいと思われるので実現できるよう期待したい。

これに関連して、財源的に制度間縦割りとなっている介護保険や障害者支援制度、子育て支援策についても一体化してはどうだろうか。一体化することで現在両制度を利用している人の自己負担を軽減することが可能となり、また利用する側にとってはわかりやすい制度になるのではないだろうか。
また、サービスの内容も制度の狭間をうまく埋めるような種別を検討することも可能になるのではないか?

たとえば
 ○脳障害後の急性期から回復期、維持期のリハビリなど。本人が希望すれば介護保険の1割負担を医療保険の3割負担で長期にわたり利用可能
 ○ 看護師が配置されている病中病後児保育  等

カバーされる内容が大きくなれば国民負担も増えることになるが、安心感が確保されているのであれば評価や支持は得られる思われる。

2008年10月6日月曜日

善意だけでなくインセンティブが必要では


社会福祉の様々な分野において検討がなされているが、「地域力」を高めて対応するというような文言が最近目立っている。
「近くに住んでいるのだからお互いに支え合おう。実施できないのはその地域の責任」ということなのか。姿としては美しいし本来そうあるべきとは思われるものの、財源不足を補うため金のかからない善意の力に期待するだけでは持続可能とは考えにくい。なにより人から言われてやるようなものでもない。

やはりなにがしかのインセンティブが必要になるのではないだろうか。
買い物をすればポイント還元があり、交通事故を起こさなければゴールド免許になったり自動車保険料が安くなるように、地域の中で利用可能なバウチャーや地域通貨のような形で必要とするサービスの利用が可能となる仕組みを創っていくべきではないだろうか。

福祉の分野での子育て、介護、障害者支援において地域活動を実施することでポイントや地域通貨を貯めて自分が必要とするサービスを利用できるようにすることで、積極的な参加につながるのではないだろうか。
また、国保や高齢者医療においても、一定期間医療機関を利用しなければ翌年の保険料が安くなるような仕組みがあれば、安易に医療機関を利用することも少なくなるのではないだろうか。